人の行いとは、昨日一つの考えが浮かんできました。
ひとつの行動は気という空間の中に落とした小石であって、一つの行動が波紋を作って広がっていくのではないかと。
私はいままで、良くない波紋をおこした人へ気を使って私の方も小石をなげて波紋を生んで波紋どうしの衝撃をわざと作っていたと気づいたのでした。
冷静に考えると、別に私が石を投げて波紋をわざと作る必要がないんじゃないかと気づいたのです。
その波紋を作ったひとの責任なのだから、打ち消す必要なんてないってことです。
醜い感情の波紋を作ったんだったら、その波紋が細部までいきわたればいい。
だってそれがその人の本質なんだから。
自分で責任を取ればいいのだという事を。
俯瞰して、波紋を見つめていればいいと気づいたわけでした。
人間いくら年をとっても自分自分と自分より下に人を置きたがるのは人間の本能なのでしょうか?
同じ波紋なら、人の心を浄化できるような波紋を打ち出したい、そんな私なのでした。